パワースポットという理由だけで伊勢神宮に行こうと思っているあなたへ#2

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前回に引き続き、伊勢神宮へなんとなく行こうとしている方向けの記事です。今回は、伊勢神宮の「内宮」と「式年遷宮」について、ご紹介します。

 

内宮について

一般的に「ないくう」といいますが、正式名称は「皇大神宮(こうたいじんぐう)」です。その主祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、御神体は八咫鏡(やたのかがみ)です。まさに神話の世界ですね。

 

宇治橋と五十鈴川

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内宮といえば、この景色。五十鈴(いすず)川にかかる宇治橋の鳥居です。2016年に行われた伊勢志摩サミットでは、この前で各国首脳が写真を撮っていましたよね。その時の首脳が一人消え、また一人消え・・・おっと。

 

有名な画ではありますが、実は宇治橋が現在の場所に架けられたのは、鎌倉時代の末期だったそうです。また、かつて橋の手前には、土産物屋が密集していましたが、大正時代にすべて撤去されました。

 

長い歴史をもつ伊勢神宮ですが、その形は時代とともに変化しているんですね。

 

おはらい町・おかげ横丁

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時代とともに変化してきたといえば、おはらい町も外せません。おはらい町は内宮のすぐ近く、五十鈴川沿いにある通りです。レトロな雰囲気で大変人気のスポットになっています。

 

内宮の方からおはらい町を歩いていく途中、左手にはおかげ横丁があります。

 

伊勢神宮に行ったら、ほぼ間違いなく訪れることになるでしょう。勝手に体がそちらへ吸い寄せられます。ただ、連休などは激混みなので、注意してください。

御師とは

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さて、今でさえ飲食店や土産物屋が建ち並ぶ「おはらい町」ですが、かつては「御師」と呼ばれる人たちの屋敷が連なっていたそうです。

 

御師・・・?私はその存在を知らないどころか、まず読めませんでした。「おんし」と読みます。ざっくり説明すると、今でいうところの旅行コーディネーターです。伊勢神宮の神職という身分ながら、全国にガンガン営業をかけにいった人たちです。

 

御師は伊勢神宮以外にも存在しましたが、その場合は「おんし」ではなく、「おし」といいます。なんなんだ、伊勢神宮の特別感。

 

江戸時代のおかげ参りブームを生んだ御師

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御師といきなり言われても、知らない人ですよね。面識ないですもんね。ですがこの人たちの働きによって、伊勢信仰は全国区になったのです。

 

江戸時代に「おかげ参り」が大流行したことを、ご存じでしょうか。庶民がみんなで伊勢神宮へ参宮したがって、急にいなくなってしまうこともあったっていう現象です。説明が雑ですみません。

 

信仰というよりも、日頃のうっぷんが溜まった庶民の、息抜き的な意味合いが強かったといいます。理由はどうであれ、いいんです。このブームの火つけ役となったのが、御師たちでした。

 

それまで「旅」というものは、孤独・悲しいといったイメージで捉えられていました。しかしお伊勢参りでは、旅の中に娯楽的な要素が取り入れたという、画期的なものでした。←すごくないですか、これ。勝手に興奮してますけど。

 

そんな御師でしたが、明治時代に入ると、近代国家を目指す新政府の改革によって、御師の制度自体が廃止されてしまいました。おはらい町で歩くときには、少しだけ御師のことも思い出してあげてください。

 

式年遷宮について

伊勢神宮では、20年に一度、式年遷宮が行われています。2013年に行われた第62回式年遷宮が、記憶に新しいのではないでしょうか。 

 

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そもそも式年遷宮とは?

「式年」は定められた年を意味し、「遷宮」とは神様のお引っ越しをいいます。なので伊勢神宮の神様は、20年に一度、引っ越しをしているんですね。神様の時間の感覚を想像するに、とても短いスパンでのお引っ越しです。

 

この式年遷宮ですが、何も伊勢神宮に限った行事ではありません。大阪の住吉大社や長野の穂高神社など、全国でもいくつか存在しています。

 

伊勢神宮の式年遷宮の特徴

じゃあ、伊勢神宮の式年遷宮って特別なことがあるの?ってことになりますよね。

 

一般的には、本殿を建て替えるときには境内に仮殿をつくるか、もしくは他の既存の社殿を利用して、神様にはそちらへ一時的にいてもらうことがほとんどなようです。建て替えが完成したら、また戻ってもらいます。

 

しかし、伊勢神宮では社殿だけではなく、門や垣とともに敷地ごとお引っ越しします。実際に行ってみるとよくわかるのですが、存在する社殿の隣に、もうひとつ社殿が建てられそうな空き地があります。

 

想像つきました?片方の空き地に社殿を建て、完成したら遷り、古い方の社殿は解体しているのです。これは内宮・外宮だけでなく、別宮などにも見られます。

 

歴史が長いもんで・・・色々あった式年遷宮

 

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引っ越しって、お金かかりますよね。神様の世界でも同じです。まあ、結局、人の手によってなされるものですからね。お金は大事です。ってなわけで、式年遷宮には莫大な資金が必要となります。

 

式年遷宮の始まり

式年遷宮をする!と決めたのは、天武天皇です。壬申の乱で勝った人です。武力で皇位を勝ち取ったから、天「武」天皇になったと、そういえば学校で習いました。ザ・権力者って感じです。

 

そして690年、実際に式年遷宮を始めたのが天武天皇の后・持統天皇です。何が言いたいかというと、式年遷宮の制度が整ったころは、朝廷がお金を出してくれいたのです。

 

戦乱期には中断

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ですが、時代が下るにつれ、武士の世になりましたよね。ってことは、伊勢神宮ピンチ。式年遷宮のお金なくなるって。

 

いえいえ、意外と源頼朝さんなんかは信仰が篤く、お金をどうにか工面してくれていました。室町幕府も足利義満から義政さんまで、伊勢神宮に参詣したりしていたんだそうですよ。

 

しかし、ここで決定的な出来事が起こります。人の世むなしく応仁の乱。なつかしー。1467年に起きた、アレです。この結果、京都の街は荒れ果て、幕府の権威も地に堕ちてしまいました。

 

その後、長いこと戦乱の世が続きます。式年遷宮は第40回式年遷宮を最後に、百年以上にわたって中断されてしまいました。では、それを復活させた人物は一体誰なのか、想像がつきますか?

 

意外や意外、織田信長と豊臣秀吉なんです。信長は比叡山は焼き討ちしてるくせに、伊勢神宮に対しては経済的に支援をしていたんですね。

  

www.kobayakawa.work

 

まとめ

今回は内宮と式年遷宮について、意外と見落としがちなポイントをご紹介したつもりです。次回は、伊勢神宮の歴史について書ければいいと思っています。おわり。