思ってたのと違う 二宮金次郎の生涯

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友人が小田原土産として、金次郎さんのお守りをくれました。

 

金次郎さんというのは、言わずもがな、校庭の片隅でひっそりと薪を背負いながら本を読んでいるお方です。夜になると、校庭を走り回るという伝説も持っています。そして、幼い私にマルチタスクという概念を、初めて教えてくれた方でもあります。

 

 

私の家の近所には、なぜか金次郎さんのお墓があります。小田原じゃないのかよ。そういえば、大人になった金次郎さんについて、私は何も知らないじゃないか!ということで、私なりに調べてまとめてみました。

 

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 どれが本当?金次郎さんの名前

 

 金次郎さんは1787年、小田原藩領の百姓の子として生まれました。金次郎という名前は幼名で、大人になってからの名前は尊徳さんです。

 

一般的に、尊徳は「そんとく」と読まれますが、正式には「たかのり」さんだそうです。ですが「そんとく」の方が、彼の有名な「報徳思想」と対応して語感的にいいじゃん的な理由で、そちらの読み方の方が有名になったらしいですよ。結構、いい加減なんですね。

 

なんなら、「金次郎」も「金治郎」なんじゃないか、とも言われているそうです。マジか。

 

薪を背負って『大学』は読んでない

 

金次郎さんは、比較的裕福な家庭に生まれます。しかし5歳の頃、大洪水によって家の田畑は荒れてしまいます。さらに14歳のときには父を、16歳の頃には母を失います。うーん、金次郎は16歳にして無一文の孤児になってしまうんですね・・・。

 

まあ、ですが金次郎はめげずに働きながら、勉強にも勤しみます。ということで、やっと私のイメージする金次郎さんが出てくるわけです。薪を背負いながら、『大学』を読む。少しの時間も無駄にしない、まさにビジネスマンの鑑。

 

しかし『報徳記』には、採薪の行き帰りに、儒教の経典である『大学』を懐に入れて歩みながら暗誦した、と書かれているそうです。すなわち、歩き読書はしていない?

 

さらに、当時に金次郎さんが読んでいたのは『大学』ではなく、友人からもらった読み書きの手本や算数の書物だったそうです。えええ!?あのイメージは、中国前漢時代の人物である朱買臣(しゅばいしん)の逸話からパクられたそうな。二宮金次郎のイメージはつくられている・・・

 

村人に変なあだ名をつけられる

 

なんやかんや書いてますが、私は金次郎さんを尊敬しています。その理由のひとつが、周りから変なあだ名をつけられても、気にせず自分の信じる道を進んだということ。

 

両親と財産を失った金次郎さん。そんな状況に置かれたら、多くの子どもはしばらく途方に暮れてしまう気もします。しかし、金次郎さんはそうではありません。両親の死をまっすぐに受け止め、仕事にも精を出します。おまけに難しそうな本まで読み始めます。

 

おかげで金次郎さんは、村人たちから「キ印の金次郎」と呼ばれていたそうです。キ印って・・・人権問題でしょ。「問題児」「変わり者」と周りから何を言われようと、金次郎さんはその姿勢を貫いたそうです。かっこいい。

 意外と敵をつくるタイプ

 

 というのが、私が金次郎さんを好きな理由その1でした。そして、その2が今からご紹介するエピソードです。

 

これまで私は、金次郎さんに対して、勝手に「聖人」のようなイメージを作り上げていました。ですが、それは違ったようです。金次郎さんだって、ちゃんと仕事上の人間関係に悩みを抱えていたようです。 

 

仕事がうまくいかず失踪

 

母の死後、金次郎さんは20歳になるまで、親戚に引き取られます。その後独立し32歳のときには村でNo.2の大地主になります。すごい・・・すごいよ、金次郎さん。その業績が小田原藩主の目に留まり、金次郎さんは農村再建の指導者の道を歩み始めます。

 

下野国桜町領の復興を命じられた金次郎さんは、綿密な現地調査を繰り返し、10年で再建することを藩主に約束します。にもかかわらず、7年もの間、実績をあげられませんでした。

 

なぜなら、小田原藩の役人との確執や、村人たちからの反対にあってしまったからです。金次郎さんは自分でこれまで築き上げてきた財産を売り払ってまで、桜町領の復興に尽くしてきたのに・・・。

 

なのにぃぃぃぃぃぃ~全然うまくいかない。上司はありえないし、村人はありがたがるどころか、嫌な顔してくるし。誰のために頑張ってると思ってんだよ・・・こっちは全財産売り払ってんだよ。あんたらは気楽だよな。だからダメなんじゃないの?自分なんて無一文から大地主になったんだよ?どんだけ努力したかわかる?わかんないよねぇ~わかれば再建なんて要らないよねぇ~ってか上司、あいつ何なの?馬鹿なの?再建するっていう最終目標、わかってますかぁ~???※私の完全オリジナル

 

心が折れた尊徳は、とうとう8年目のある日、急に失踪してしまいます。このとき、尊徳は43歳でした。挫折ってやつですね。

 

村人たちの反発の理由

 

なぜ村人たちは、わざわざ再建しに来てくれた金次郎さんに対して反発したのか。その原因は、当時の統治システムにあったようです。百姓の中から選ばれた人物が領主の統治を請け負う「村請制」という仕組みです。

 

その枠組みの中では、領主側は村役人の申告によって、村内の状況を把握していたといいます。そのため、村人側も領主側にバレるとまずいことは、隠すことが可能だったそうです。それはそれで、うまくいっていたということですかね。

 

しかし、そこへ見ず知らずの金次郎って人間が、「復興するから」と村へやって来ました。そしてグイグイと村の内部に入り込んできて、不正・不法の摘発などを行ったのです。

 

それまでも復興を試みた人間はやって来ましたが、結局成功しませんでした。しかも金次郎って人間は、今までとは随分違うやり方をしている。怖い!!!怖いんだけど!!!!!

 

ということで、村人たちの反発を食らったようです。いつの時代も、それぞれの立場というものがありますのでね。誰が善で、誰が悪ということではないですよね。

 

成田山新勝寺で断食修行

 

失踪した尊徳は、成田山新勝寺で21日間断食修行することになります。そこで二つのことに気づいたそうです。一つは、再建の主役は金次郎自身ではなく村人であるということ。二つ目は、自らの正義や理想にこだわるほどに「敵」を生み出していくということでした。

  

新勝寺でのこの気づきが、その後の金次郎さんの人生や指導方法を大転換させるきっかけになりました。その結果、のちの2年で10年分の復興を成し遂げることができたそうです。

 

見渡せば 敵も味方も なかりけり
おのれおのれが こころにぞある
二宮金次郎に学ぶ生き方』中桐万里子

 

この言葉、身に染みます。

 

最後に

 

勤勉・優等生というイメージのある金次郎さん。自分とは関係のない「偉人」だと思っていたのですが、そんな人間でも、私たちと同じように悩みを抱え、失敗や挫折を経験しています。しかし、彼もそこから学び、大きな仕事を成し遂げたということを知ると、なんだか勇気が湧いてきます。

 

結局何が言いたいのかっていうと、お土産ありがとうってこと。金次郎さんにあやかりたい。で、なんで金次郎さんのお墓が都内にあるの?